最近のもの

「太陽を曳く馬」は新リア王の続編で、三部作の最終作。前作では、最後に主人公の福澤彰之の息子が家出していったが、今作ではその息子が殺人事件を起こし、死刑判決を受けている。その事件を背景として、福澤彰之が代表を務めていた都内の一等地の寺院内での事故が、寺院内部の対立や、オウム真理教との関連も絡ませながら書かれている。合田刑事が登場しており、寺院内の事故について調査する過程で、寺院の僧侶と仏教論議を戦わせたりもしている。読み応えがあるが、内容はほとんど理解できなかった。

「頭上は海の村」は平成初期の大潟村の状況を描いたもの。著者は無明舎の現舎主で、大潟村の若手農家の知り合いのところにしばしば農作業の手伝いに行きながら、当時の村の様子をまとめている。当時は、1戸あたり15haが全て水田として認知された直後でそれまでの遵守派とヤミ米派との争いがやや落ち着いた頃だったようだ。村内ではあまりその手の話はしないとか、第何次入植であるかによって微妙に色合いが違うとか、興味深い話が続く。現在の大潟村の村長が、農業近代化ゼミナールの若手として登場している。

「兵役を拒否した日本人」は、戦前の灯台社の信者3人が行った兵役拒否について取り上げるとともに、灯台社の創始者の明石順三についても取り上げたもの。明石は、渡米後にものみの塔の教えに感銘を受け、日本で広げるために帰国して活動を行った。彼らは国内各地のみならず、台湾や朝鮮にも出かけていき、現地で生活しながら布教を行っていた。そして、明石の息子を含め3人が徴兵後に銃器返納を申告し、陸軍刑務所に送られている。それと前後して、灯台社本体も弾圧を受け、戦後まで明石含め関係者が投獄されることになる。明石の妻も獄死している。彼らの教義に同感するかはさておき、戦争中にこのような行動を貫いた人たちがいたということをもっと我々は知るべきだと思う。ところで、明石の息子は銃器返納を申告して刑に服するものの、そこで古事記などを読んで転向している。生まれたときから灯台社の社会に生きてきて、捕まってはじめてそのほかの世界を知り、自分で考えて転向したようだが、そういうこともあるのかと読みながら思った。

「乱」は幕末の動きを主に旧幕府側から描いたもの。著者の遺作でフランスの軍事顧問団のブリュネが主人公だが、箱館戦争の途中で著者死没のため未完となっている。そのため、ブリュネについて描かれているのは、彼が日本で描いたスケッチについて説明した部分と、江戸から脱走する前後となっている。松前藩における戊辰戦争の頃の尊皇派によるクーデターについて詳しく取り上げており、北方の蝦夷地でも血なまぐさい動きがあったことが分かる。また仙台藩でも、恭順派と佐幕派戊辰戦争終了後も争っていることが分かる。藩内の内紛といえば水戸藩が有名だが、仙台藩松前藩も同様だったようだ。

「第七の十字架」は、ナチ政権下のドイツで収容所から脱出した7人の囚人を描いた小説。著者はドイツの女性作家で共産党活動をしており、ナチスが政権を握った後にフランスへ亡命、さらにはメキシコへ亡命するなど、苦難の人生だったようだ。戦後は東ドイツに戻っている。戦争が始まってからの時期ではなく、まだナチスが政権を握って間もない頃が舞台になっているが、収容所の残忍さ、SAに協力する市民、逆に脱出者を助けようとする工場労働者など、様々な登場人物が臨場感豊かに書かれている。脱出者を助けようとすることで自分に降りかかる被害を考え逡巡する様子など生々しい。結局7人の囚人のうち、6人は捕まって処刑されるか捕まる前に死亡し、主人公1人だけが脱出に成功する。

「傍流の記者」は、新聞社の社会部の5人の記者と、元々は社会部のエースながら人事部に転身した1人の元記者の、同期6人の物語。新聞社内の選抜がどのように行われているのか興味深い。新人記者が地方回りを数年した後、本社に戻った際の所属先について、社会部や政治部などの各部からドラフト形式で選ばれることがあるなどリアリティがある。5人の記者それぞれも、地方新聞社で数年働いてから転職した人や、人事ネタにきわめて強い人など、それぞれのキャラクターがよく分かるように書かれており、その中の誰が社会部長に選ばれていくのかどきどきさせる。人名も地名も変えてあるが、今の総理や官房長官、また森友問題を彷彿とさせる描写も面白い。