- 森史朗「松本清張への召集令状」文春新書
- 綱淵謙錠「叛」悠思社
- 郡義武「秋田・庄内戊辰戦争」新人物往来社
- 加藤貞仁「幕末とうほく余話」無明舎出版
- 一志治夫「美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦」プレジデント社
- 奥田英朗「オリンピックの身代金」角川グループパブリッシング
- 吉田修一「悪人」朝日新聞社
- 高村薫「地を這う虫」文藝春秋
- 樋口知志編「前九年・後三年合戦と兵の時代」
「松本清張への召集令状」は、松本清張の担当編集者だった著者が当時の思い出を振り返りながら、 松本清張の従軍時代を書いたもの。松本は、30を越えた男性に恣 意的に召集令状が届く「遠い接近」という小説を書いているらしく 、その小説は自身がモデルになっているらしい。召集令状を割り当 てる際、あらかじめ名簿に付箋をつけておき、そこに当たったら選 び直すといった恣意的な選び方もあったようだ。 松本清張が浜田山に住んでいたことをはじめて知った。高井戸に住 んでいたときに、知らずに近くを通っていたかもしれない。
「叛」は綱淵の短編小説集。中でも、江戸時代に和船が遭難し、漂流する様子(小栗重吉だと思うが思い出せない)を書いた小説が印 象深かった。
「秋田庄内戊辰戦争」は戊辰戦争時の庄内軍、その中でも酒井玄蕃に率いられた二番隊を中心にその行動を綴ったもの。 院内の戦いから湯沢、横手を経て最後の椿台の大会戦までそれぞれ の戦いが丁寧に書かれている。酒井玄蕃だけでなく、小隊長一人一 人にも焦点をあててその行動を丁寧に書いている。庄内藩の戦死者 について、戦いごとに一人一人の名前を記述しているのが印象的。 秋田藩についても、旧式装備にもかかわらず官軍の前線に押し出さ れ、薩摩長州にいいように使われているというようにやや同情的に 書いている。
「幕末とうほく余話」は無明舎出版のホームページで連載していたものらしい。西南戦争で西郷軍側にいた秋田藩士の話から始まり、 赤報隊に参加した秋田人や、東北各地の飛び地領での戊辰戦争時の 様子、岩城藩や亀田藩といった秋田県内の小藩の様子など、興味深 い話が書かれている。飛び地領では、本藩の動向が分からず白河の 戦いで西軍に協力した庄屋が会津軍に連れ去られ、鶴ヶ城落城のど さくさにまぎれて処刑されているのだとか。東西どちらに肩入れす るでもなく冷静に物事を書いていて好感が持てる。
「美酒復権」は秋田の酒蔵のグループであるNEXT5について取り上げた本。ゆきの美人、山本、一白水成、新政、春霞のそれぞれ の蔵の社長について紹介した後に、NEXT5の結成、 取組内容を紹介している。どの蔵の社長も、一度秋田を出て他の仕 事をした後に、秋田に戻ってきて酒造りをしている。特に新政につ いての記述が詳しく、これまでの概念にとらわれずに酒造りをして いる様子が伝わってくる。 プレジデント社の書籍でいわゆるビジネス本だと思うが、日本酒が 好きな人が読んでも面白いし、赤字企業の立て直しとして読んでも 興味深
いと思う。
「オリンピックの身代金」は数年前にドラマ化もされた小説。主人公が秋田の山村出身という設定ということを知り関心をもった。 東大院生の主人公が、兄が出稼ぎ先で亡くなったことを契機に1カ 月強、日雇い労働で働く中で、資本家によるオリンピック利用や東 京一極集中への不信感を募らせていき、爆弾テロを起こす内容。主 人公は教条的な革新思想をもっているが、テロの背景はそれだけで もなく、秋田の貧困への絶望だったり、ヒロポンの影響だったりす るところが少し恐ろしい感じがする。小説としても一気に読ませて 面白いが、現在の地方と
東京都の関係へのアンチテーゼとも読み取れる。
「悪人」は殺人事件の犯人が、出会い系で出会った行きずりの女性店員と逃走する話。被害者、その両親、犯人、女性店員、 その周辺の人々など、一人一人の描写が丁寧で読ませるしリアリテ ィがある。数ヶ月前の本の雑誌で、著者は地方の寂れた感じを書か せたら右に出るものはないとの評が出ていたが、 そのとおりだと思う。
「地を這う虫」は高村薫の短編小説集で、どの主人公も警察OBであるのが共通点。警察を辞めて警備員をしていたり、政治家の運転 手をしていたりする彼らが、ふとしたきっかけで事件に巻き込まれ る話。一つ一つは短いがちょっとしたシーンが印象的で心に残る。 著者の合田シリーズとはまた違った印象がある。
「前九年後三年」は安倍氏、清原氏の時代の東北について扱っているが、前半は考古学的な内容が多くあまり興味を持てなかった。後 半は前九年の戦い、後三年の戦いについて順に説明していてやや読 みやすくなる。章ごとに別の人が書いていてあまり統一感はない。 また、古代史的に見ると何々だが、中世史的に見れば何々などとい った書き方も目立ち、読者にわかりやすく説明しようという気持ち があまり感じられなかった。 中公新書の蝦夷の末裔のほうが興味をわかせる。前九年の戦いの最 初の鬼切部の戦いは、鬼首であったと解釈するのは難しく、
そもそもなかったのではないかという説もあるらしい。