ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))
石光 真人

中央公論新社 1971-05-25
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明治維新に際し、一方的に朝敵の汚名を着せられた会津藩は、降伏後、下北半島の火山灰地に移封され、藩士は寒さと飢えの生活を強いられた。明治三十三年の義和団事件で、その沈着な行動により世界の賞讃を得た柴五郎は、会津藩士の子であり、会津落城に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、維新の裏面史ともいうべき、惨苦の少年時代の思い出を遺した。・城下の人・で知られる編著者が、その記録を整理編集し、人とその時代を概観する。

柴五郎は会津藩士で数え10歳の時に会津若松城の落城を経験し、祖母、母、姉妹がみな自決した経験をもつ。その後の下北半島での苦労、東京に出てきてからの苦労が綴られている。西南戦争に際しての「芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」というところは考えさせられる。