絶望の裁判所

絶望の裁判所 (講談社現代新書)絶望の裁判所 (講談社現代新書)
瀬木 比呂志

講談社 2014-02-19
売り上げランキング : 12488

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?

しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。

33年間裁判官を務め、学者としても著名な著者が、知られざる裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。

裁判官を33年間務めた著者が、現在の司法システムの限界と実情、改善策を説いている。

「司法官僚」や「法服の王国」にもあったとおり、事務総局を中心とした裁判官人事システムが、全体の硬直性、事なかれ主義、統制を強めているという指摘はあたっているのだろう。栽培員制度を、民事系に押し込まれていた刑事系の起死回生の一策として説明し、事実、その後の最高裁事務総局の主要ポストは刑事系が多いことも示されている。そのような状況を改善するために法曹一元化が必要だというのも分かる。

ただ、著者が途中までそのシステムの中で選ばれたポジション、いわゆる司法官僚であったことは間違いなく(初任地が東京地裁、局付、最高裁調査官も経験している)、最高裁調査官時代に鬱病を発症してコースから脱落し、ついには退官に至ったことの恨み辛みととれなくもない。まともな自分だから脱落するのであって、残っているやつらはどうしようもないやつばかりという感情をこの著書全体から感じる。「さらば外務省」に似ていて、こういう本は結局コースから外れた人が外から吠えているだけになってしまう感があるし、ルサンチマンではないとそれを払拭するだけの丁寧さは感じられない。その背景には著者の上昇志向があるし、やたらと左派、左翼という言葉を使うのも、自分はそうではなくただ良心派なのに外されたのだという言い訳につながっていく。タイミング的に合うはずの「法服の王国」を全く無視しているのも、しょせん小説で相手にしないという上からの意識なのではないかと感じてしまう。