私の日本地図3 下北半島

『私の日本地図』第8回配本 第3巻「下北半島」。
原書は昭和42(1967)年刊。昭和15年12月、オシラサマ調査のため廻った最初の旅から、昭和41年8月の旅まで下北半島を訪れた9度の旅の記録。昭和38年、39年には九学会連合の綜合学術調査にも参加、
ときに季節をかえて下北各域をくまなく歩き、本州最北の地を生活の場にして暮らす人びとの姿と、海を通じた南北各地との交流の歴史を綴る。
きびしい自然条件のなかで山野海浜を拓いて共に生きてきた下北人の努力の精神誌でもある。「青森県人以外の人間が下北半島をもっとも正確に記録した本」とも言われた書。写真265枚を収録。

著者は戦前から下北半島に9回入っている。僻地だといわれがちだが、昔は海運で上方ともつながっており、文化の流入地だったことがわかる。川内町について書かれているところで、国有林の払い下げ問題で町が二つに割れてしまったとあるのが気になるが、もはや調べようがない。また、「一国の文化というものは、その国の端々にどれほど活気がみられるかということで、推し量られるものではないかと思う。そういう点からすると、この半島は明治の中頃までのほうが活気があったといえるから、文化はそのころまでのほうが隅々までいきとどいていたことになる。」と書かれていて、現在の原子力関連施設が多く立地する下北半島を宮本が見たら、どう思うだろうかと考える。7年前に出張で下北半島に行った時のことを思い出しながら読んだ。