最近のもの

「冷血」は昨年文庫化された。新リア王や太陽を曳く馬の文庫化よりも早かったのが不思議。世田谷の一家殺人事件をモチーフにした作品で、携帯サイトでたまたま知り合った2人が、流されるままに歯科医一家の家に侵入し、殺人事件を起こす。単行本で一度読んでいるが改めて読み返すと、警察の合田と犯人である井上との奇妙な文通が印象的。国道16号沿いを車で放浪する2人の様子は「悪人」で逃亡する犯人たちにもなんとなく似ている。と思ったら、本の雑誌速水健朗が、悪人と冷血の共通点について同じようなことを書いていた。

「日本核武装」は、28歳の留学帰りの防衛官僚が主人公。日本国内で核爆弾が極秘裏に作られており、主人公はその痕跡を消すように命じられるが、実はそれを命じた上司が核爆弾を強奪しようとする。同時に中国が尖閣諸島近辺で攻勢を強め、被爆三世でもある主人公は当初は核武装に絶対反対だったものの、徐々に、日本の核爆弾を米中の首脳に見せ、その後即座に解体することで、いざとなれば持てるということを印象づけ、対日政策を変えさせようとすることになる、、といった内容。防衛省内の雰囲気をよく知らないが、28歳の留学帰りが特命を帯びるとか非現実的だし、防衛政策局の次長ばかり出てきて局長が出てこないなど、あまりにリアリティがなくひどかった。

「オホーツク諜報船」は、冷戦時代、北方領土での密漁の黙認と引き替えにソ連当局へ様々な情報を渡すレポ船を取り扱った小説。一気に読んでしまった。ソ連に拿捕された漁師の主人公が、ハバロフスクの収容所で他の漁師と出会い、帰還してから彼らと組んで漁に出るようになるが、またも拿捕されてレポ船になるかどうかの選択を迫られ、それを呑まざるをえなくなったという筋立て。収容所で出会った他の漁師(彼は、戦争中に徴用されて千島列島に送られた朝鮮人で、戦後、同じタコ部屋労働をしていた日本人の戸籍を利用している)は実は以前からレポ船をやっていて、リクルートのために偽装拿捕されていた。米軍の脱走兵をソ連へ運んだり、物資を運んだりする代わりにソ連領海内で漁をして荒稼ぎするが、彼らはソ連諜報部隊の米軍士官の拉致に巻き込まれ、最後は口封じのために殺される。実際にこういうことが当時あったのかどうか分からないが、著者は現地での取材を積み重ねて書いたようだ。これを冷戦中の昭和55年に書いているのがなによりすごい。

「梟の朝」は、戦争中の「TO機関」の活動を、著者を思わせるジャーナリストが追う様子を書いた小説。駐在先のイタリアで遭難死した、山本五十六の側近だった海軍武官の行動について、新たな事実が明らかになっていくというもの。冒頭で、ジャーナリストが大西洋を横断するイギリス人冒険家から回顧録をインタビューするが、それが徐々に膨らんでいく様子が面白い。

「水色の娼婦」は、アルゼンチン生まれの日系女性が、タンゴと美貌を武器にベルリンに渡って活躍し、日本陸軍の予備役少佐である諜報員と恋に落ち、その活動を何かと支援する昔語りを、著者を思わせるジャーナリストがインタビューする物語。諜報員は三国同盟に反対し、また日米開戦を避けようと尽力する。リビアを横断してエジプトでイギリス側と接触したりもする。戦況が悪化した後に潜水艦で日本へ戻ることとなるが、そのまま生き別れになってしまう流れ。様々なネタが散りばめてあって面白く読めた。

「標準語の村」は、秋田県の旧西成瀬村で行われていた遠藤熊吉による標準語教育についての本。方言が強い秋田の中で、西成瀬小で教育を受けた人たちは澄んだ言葉を話すのだとか。著者は戦争中に疎開で栃木に引っ越し、東北で学生時代を送って秋田で教員を長く務めたが、仙台から秋田に来たときには言葉が分からなかったという。半世紀以上前の秋田は、今想像する以上に方言が強かったのだろう。遠藤が標準語教育を行っていたのは、それよりさらに前の大正時代。当時の西成瀬には吉乃鉱山があり、鉱山職員が県外から多く来ていた。その子弟たちの言葉も、標準語教育の一つの追い風にもなっていたのではないか。

送り火」は昨年の芥川賞受賞作。新聞の書評でも何度か取り上げられていて気になっていた。青森に引っ越した転勤族の中学3年生が、田舎で級友たちと過ごす日常を描いているが、少人数の級友たちの中にも時に暴力を伴う歴然とした上下関係がある。陰惨さと幻想的な雰囲気を同時に味わうクライマックスだが、正直後味が悪かった。