江戸開城 遠い崖7 アーネスト・サトウ日記抄

江戸開城 遠い崖7 アーネスト・サトウ日記抄江戸開城 遠い崖7 アーネスト・サトウ日記抄
萩原 延壽

朝日新聞社 2008-01-11
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慶応四年(1868)三月十五日に予定された江戸総攻撃は、西郷隆盛勝海舟の二度の会議によって回避された。この会談をめぐって「パークスの圧力」は、はたしてあったのか?越後、会津へと展開する戊辰戦争の前途は?おりからサトウは北海の旅に出て、宗谷沖で坐礁・難破する。

江戸の無欠開城を経て、会津藩降伏まで。この北越戦争会津戦争のときに、イギリスから来ていた医者のウィリスが戦傷者の治療に向かったのだが、その会津藩に対する観察が興味深かった。曰く、会津藩は暴政を恣にしていた、農民の心は完全に離れている、捕虜虐殺をしている云々。当時の英国は新政府側に重心を置いていたから、その分を差し引かなければならないのかもしれないが、特に暴政云々について指摘しているのを読んだのは初めてだった。特に、星亮一のような礼賛者が幅を利かせる現状を考えると、貴重な指摘だと思う。