農学と戦争 知られざる満洲報国農場

満洲の開拓団の悲劇は数多知られているが、東京農業大学が自ら農場を満洲にもち、学生を送り込んでいて、かなりの学生が戦後の混乱の中で犠牲になっていたことを初めて知った。当時の農林省も、当初は他省庁に遅れ気味だったところに焦りを感じ、文部省や拓務省を出し置いて、終戦の年にも奉仕隊を満洲に送り込んでいて、その責任は免れないと思うが、戦後処理は早々に外務省に任せてしまったと指摘されている。