北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か

北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か (中公新書)北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か (中公新書)
菊池 嘉晃

中央公論新社 2009-11-26
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一九五九年から四半世紀にわたって行われた北朝鮮帰国事業。「地上の楽園」と宣伝された彼の地に在日コリアン、日本人妻など約一〇万人が渡った。だが帰国後、彼らは劣悪な生活環境・監視・差別に苦しむ。本書は、近年公開された史料や証言を基に、南北統一への“活用”を意図した北朝鮮の思惑と、過激な政治分子と貧困層排除を目論んだという「日本策略論」を検証し、どのように事業は行われ、「悲劇」が生まれたかを追う。

59年から始まった北朝鮮帰国事業は、実は84年まで行われていたそうだ。帰国の申請自体が打ち切られた後も、その時点でまだ帰国していなかった人たちが一通り帰国するまでそれだけかかったようだ。日本人妻が多く渡航したのは主として最初の3年間ほどで、あとは技術者や商業家など、北朝鮮にとってより利用価値の高い人が選ばれたらしい。

副題に「壮大な拉致」か「追放」かとあるが、壮大な拉致というのはイメージしやすいが追放というのが若干わかりにくい。これは、帰国事業自体が、当時の日本政府による厄介払いを目的としていたという認識に基づくらしい。もっとも本書によれば、日本政府が自らというよりは、北朝鮮の意を受けた朝鮮総連等の働きかけによって結果的に実現したということで、追放というのは当てはまらないようだ。また、壮大な拉致というのも、本人の意に反して帰国した人はほとんどおらず(一部、乗船直前にやはり帰国しないという意志を示したものの強引に乗船させられたケースがあったそうだ)、本人の帰国意志を確認し、本当に希望している人が乗船したのであるから、拉致というのもあたらない。

当時、韓国と北朝鮮を比較すると北朝鮮のほうが比較的豊かであった(1人あたりGDPについて、韓国が北朝鮮を追い抜いたのは75年らしい)とは言っても、一番責任があるのは、「地上の楽園」と宣伝した朝鮮総連、背後の北朝鮮であり、またそれを後押しした国内メディアだろう。