《総括》という言葉

某所で、《総括》という言葉から連合赤軍を発想するのはありやなしやということが書いてありましたが、個人的には普通にありです。高校生のとき光の雨を読んで以来、大学に来るまでは総括という言葉の意味はそちらの意味しか知りませんでした。自分の中では、総括→12人殺害という図式ができあがっていました。大学で某団体に入り、「総括」なる書類が存在することを知って、この人たちいつの言葉使ってるんだよと思ったことを鮮明に覚えています。普通にカルチャーショックでした。

広辞苑第五版によると、総括とは

  • 別々のものをまとめ合わせること。全体を総合して、しめくくること。また、全過程を検討・評価すること。「総括質問」「大衆運動の総括」

という意味だと言うことです。後半の、全課程を検討・評価という意味で使われることが実際上は多いのではないでしょうか。その言葉を連合赤軍という鬼っ子が変なベクトルに向けてしまい、《総括》という言葉自体に負けてしまって仲間を次々と殺すような事態に陥ったのでしょう。言葉が持つ力をまざまざと感じます。

やはり、自分の中ではまだ《総括》→連合赤軍という図式がかなり強烈に残っているので、日常会話でその単語を使うことはあまりしていないはずです。自分の中で言葉狩りフィルタが働き、総括→反省というように置き換えているはずです。「総括」という書類についての会話の際は別ですけど。なので、「今年の総括」だとか「自分の活動を総括してみる」というようなフレーズには違和感をかなり感じてしまいます。現代の大学生が普通に《総括》という言葉を使うのは、自分も含め連合赤軍の記憶が風化しているorなかったことにしようとしている社会に生きているからなのかもしれませんね。

このエントリーは、昨日バイトに行く前に書く予定だったのですが、あまりまとまらずに書けなかったのでバイト終了後に書くことになってしまいました。まったく新年らしさがないエントリーですね。残念です。