日吉アカデミア一九七六

全国の数ある中学校のうち、唯一「中」という漢字が付かない中学校「慶應義塾普通部」。福澤諭吉の精神が今も生きる学校で「私」が目にしたものとは? 政治学者にして「鉄学者」のその後を決定づけた普通部の三年間を描いたメモワール。

滝山コミューン一九七四の続編。滝山団地に住んでいた著者は小学校が苦痛になり、私学を受験して慶応に通う。半世紀近く前のことをよく覚えているなと感じる。「労作展」に出品するために、一年生のときは南武線を研究してよい評価を受け、二年生の時はさらに張り切って横浜線を研究し、自分では会心の出来なのに、教師から良い評価を得られなかったことで深く傷ついた様子が書かれている。
滝山コミューンは小学生が同級生から追及されるという気の毒な環境だが、こちらは良い私学に通わせてもらって好きなことを研究して、なぜ認められなかったのかというルサンチマン的な感情ばかり感じられ、読後感はいまいち良くない。中学の様子とロッキード事件のことが交互に述べられるが、政治の動きに触れる必要も正直感じられない。あの時は傷つきました、ということを、いい大人がここまでして表現したかったのか、という感想。