Uは私だ。植松聖を不気味と感じる私たち一人ひとりの心に、彼と同じ「命の選別を当たり前と思う」意識が眠ってはいやしないか?
差別意識とは少し異なる、全体主義にもつながる機械的な何かが。
「A」「FAKE」「i ‐新聞記者ドキュメント-」の森達也が、精神科医やジャーナリストらと語りあい、悩み、悶えながら、「人間の本質」に迫った、渾身の論考!
植松の裁判がたった2か月で終わってしまったというのは指摘を読むまで気づかなかった。裁判の精神鑑定は、責任能力をあることを示すためのアリバイ作りになってしまっているというのも一理あると思う。こういった事件で、責任能力なしという結論を出したら相当たたかれるだろうというのも想像がつく。著者の問題提起はわかるが、ではどうすればいいと思うのかが判然としない。
