多摩川 境界の風景

東京と神奈川の境界を流れる多摩川は、また一方で、現世と来世の境を意味し、自然堤防の外側に広がる河原は、封建領主の権力に秩序づけられることのない特有な空間であった。本書は、流域にのこる民俗信仰のなかに「川」のもつ精神史的な意味を問い、さらに、上流から河口域にいたる風土的な特色を概観し、江戸の防衛、渡船の運営、遊興空間の形成、用水の開削、砂利採掘など、多摩川をめぐる人間の営みの歴史を、さまざまな側面から浮き彫りにする。

昭和63年の有隣新書。明治維新後に多摩川が東京と神奈川の境になる前は、多摩川流域は右岸と左岸で一帯の文化圏をもっていたとか。それぞれ沿岸の村の飛び地が対岸にあって境界紛争も絶えなかったようだ。近代以降の砂利採掘で海水が遡上するようになってしまったというのは初めて聞いた。砂利採掘が禁止されて半世紀。半世紀前は今とは全く違う風景だったのだろう。