- 佐藤卓己「増補 八月十五日の神話:終戦記念日のメディア学」ちくま学芸文庫
- ダン・ブラウン「ダヴィンチコード 上下」(越前敏弥 訳)角川書店
- マイク・ブラウン「冥王星を殺したのは私です」(梶山あゆみ 訳)飛鳥新社
- 山本周五郎「樅ノ木は残った 上中下」新潮文庫
- 袖井林二郎「マッカーサーの二千日」中公文庫
- 鳴神響一「斗星、北天にあり」徳間書店
- ジョン・ル・カレ「われらが背きし者」(上岡伸雄、上杉 隼人 訳)岩波書店
- 辻寛之「インソムニア」光文社
- 丸谷才一「笹まくら」新潮文庫
「八月十五日の神話」は、以前ちくま新書で読んだことがあるが、増補版が出たので再読。ただ単に玉音放送が流されただけの8月15日が、なぜ日本では第二次大戦の終結の日ととらえられているのか、終戦直後からのメディアを追いながら丁寧に説明していてわかりやすいし勉強になる。
「ダヴィンチ・コード」は今さらながら初めて読んだ。追ったり追われたりで面白いが、聖杯への執念がいまいち日本人には理解しがたい。時間があれば続編も読んでみたいが。
「冥王星…」は、冥王星よりも外側にあるいわゆる矮惑星を発見した著者が、自分の業績を語る本。全く難しくなく、軽妙な語り口で書いているのでとっつきやすいが、少し軽すぎるような印象。自分の天文学者としての活動のほかに、妻との出会いや子育ての話などが盛り込まれていて、それはこの本に本当に必要なの?と思えてしまう。そして、自分が発見した矮惑星をスペインの学者が先に発表したとしてしきりに追求し糾弾しているが、相手の言い分がよく分からないままなのでもやもやする。
「樅ノ木は残った」は、伊達騒動を題材にした小説で著者の代表作。昭和33年の作品だが今読んでもまったく古さを感じず面白い。発表当時は、講談などを通じて伊達騒動を一般常識として知っている人がそれなりにいたのかもしれないが、残念ながら全く知らなかった。幕府の酒井雅楽頭の冷酷さと原田の冷静さと意思の強さが印象的で心にしみるが、周囲を犠牲にしながらただひたすら伊達家の存続のために動く原田の行動は、今ではなかなか是認されないかもしれないと思った。旧藩主の屋敷で闇討ちされるあたりの背後関係がいまいちつかめなかった。
「マッカーサー…」は、昭和49年に書かれたもの。マッカーサーの生い立ちからフィリピンでの活動、第二次大戦を経て日本へ進駐し、朝鮮戦争中に解任されるまでを簡潔にまとめている。マッカーサーが解任されるときの日本国内の感謝する様子、その後の十二歳発言が伝えられた後の真逆の反応など、改めて興味深い。
「斗星…」は、佐竹氏が入国する前に秋田を治めていた安東氏を題材にした小説。安東愛季が主人公で、土崎湊の一族との統合を果たしたり、鹿角方面へ進出したり、織田信長と誼を通じたりしながら徐々に勢力を拡大していく様子を小説にしている。地名とその位置関係がわかりやすく面白く読めたが、秋田の人以外で読む人はいるのだろうか。
「われらが背きし者」は、亡命を希望するロシア人の動きに、イギリス人カップルが巻き込まれていく話。イギリスの諜報機関内部の権力闘争がいまいちよく分からなかった。そして悲しい結末。ル・カレの作品らしいといえばそうだが、救いようがない結末でどうかと思う。
「インソムニア」は、PKOに派遣された自衛隊の部隊が戦闘に巻き込まれ、死者を出したことを題材にした小説。生還した5人、それぞれの陳述がどれも食い違う、現代版の藪の中になっている。また、自衛隊の報告書でも事実が隠されており、国会で記録の改ざんが議論になっているなど、南スーダンの一連の問題を想起させる内容。実際に自衛隊が戦闘で死者を出していたらこういう小説は出せなかっただろう。
「笹まくら」は丸谷才一の長編で、もう半世紀以上前の作品。戦争中に徴兵忌避者として各地を転々とした主人公、戦後に就職した私大事務局で徐々に居心地が悪くなっていく。戦争中は秋田にも来ていて、横手でラジオの修理をしている設定になっていた。戦後まだ20年ほどで誰もが戦争を体験していた時代。主人公を排斥する私大の同僚も、南方戦線で飢餓に苦しみ、目の前で同僚が戦死する体験をしている。自らの意思とはいえ、他の誰もが体験した従軍をしていないことへの主人公の負い目、微妙な気持ちがよく現れていて、戦場の記述はほとんどないものの、第二次大戦を描いた小説の名作だと思う。